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阿弥陀仏の本願力からいえば、100%救われます

阿弥陀仏の本願に救われた喜びを発信される方々のブログを読んでおりますと、いかに親鸞会が正しく弥陀の御心を説いていなかったのかと日増しに思います。
説き方が不十分、あるいは肝心かなめが抜けていたのだと知らされてきました。
(もちろん、親鸞会の完全な間違いもあります。)

阿弥陀仏の本願が正しく伝われば、どんな人であろうとも100%救われます。尊き阿弥陀仏の本願なのですから。
せっかく親鸞会で阿弥陀さまの本願を聞いていた方でも、親鸞会の教えがおかしかったために、途中で、あきらめられて今は聞かれていない方が相当数、いらっしゃいます。
すごく残念だし、さみしくもったいないことです。どうか、阿弥陀さまに向かっていただければと思います。
また、阿弥陀如来のましますことも知らない人もたくさんいらっしゃいます。
そんな方々とともに阿弥陀如来の浄土に参らせていただきたいという思いで、私もお粗末ながらもブログを書いております。

親鸞会にいたときは、阿弥陀さまを遠い存在だと思い込んでいました。しかし、それは誤りでした。

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宮田さんの「安心問答」からの抜粋をさせていただきます。(赤字強調は、私。)

「阿弥陀仏の本願は、ただ今救う本願であり、どんな人も報土往生させ仏のさとりひらく身にしてみせるとという阿弥陀仏の願いです。
その
阿弥陀仏の本願力からいえば、助からない人は一人もありません。
法から言えば、100%救われます。
地獄には堕ちることは確率的にありえません。」
(中略)
(0)阿弥陀仏は、どんな人でもただ今救う本願を建てられた。この本願で救えない人は一人もない。         (1)どんな人でもただ今救う本願があるのに、万が一にも「死後、ながく地獄に堕ちること」「往生極楽できないこと」があったら、大変であるということを、「後生の一大事」という。
(2)阿弥陀仏の本願に救われると、絶対に自力では仏になれない凡夫が報土往生し、仏に生まれるから「往生極楽の一大事」といわれた。
まず助からない私を中心に御文章を読むか、ただ今必ず救う本願を中心に御文章を読むかでその内容は全然変わってきます。
繰り返しますが「私を救う阿弥陀仏の本願」が出発点です。
自力で往生極楽できないものに対して、「お前は往生出来ないぞ!一大事だぞ!」とどれほど言っても、まったく一大事ではありません。誕生日に1才年が増えたことを一大事といわないのと同じ事です。
絶対救われる本願があるのに、往生出来ないなんてありえない。しかし信心を獲得せずば、そのありえないことが起きるぞ、一大事だぞ!」という意味で「他力の信心を獲得せよ」と蓮如上人はいわれました。

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皆友 * - * 23:57 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

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コメント

URLありがとうございます(^^)v 早速見せて頂きました。

昨日の安心問答は私もコメントしようとしたんですが、文章が消えてしまったので書かせて頂きます。

蓮如上人は「後生の一大事」という言葉を使われる時は「往生極楽の一大事」あるいは「極楽に往生できるかどうかの一大事」という意味で使われています。

「仏道修行の器に非ず」と匙を投げられた愚かな凡夫が浄土往生して仏になる。こんな一大事が他にあるでしょうか?

蓮如上人は常に「この私」を浄土往生させる「阿弥陀仏の本願」を中心に説かれていますから、「助ける阿弥陀仏」が先手であり、「助けて頂く私」は後手です。

しかし「後生の一大事」を「死んだら地獄に堕ちる一大事」と読んだ場合どうなるでしょう。

特に親鸞会の場合は、「死んだら地獄に堕ちる一大事」が分からないと仏法は始まらないといい、会員は因果の道理から廃悪修善を実行し、ひたすら助かる縁のない自己を知らされようとしています。

こうなると「地獄に堕ちる私」が先手、「助ける阿弥陀仏」は後手に回ります。

更に、18願の心がほとんど説かれなくなりましたから、救いの法はないも同然なのです。

勿論、自己に目を向けることや日常生活の善が悪いと言っているのではありません。

ただ肝心の「助ける阿弥陀仏」が後手後手どころか登場すら危ういので、先手の法を説かれる知識からお聞きするのがよいと思います。
Comment by 淳心房 @ 2009/12/29 7:35 AM
先手の法、18願の心を説かないのでは、救いの法はないも同然ですよね。
昨日の安心問答に、上記のコメントをそのままコピペされてはいかがでしょうか。
すばらしいので、こんなところにとどめておくのはもったいないです(^^)v
また、ブログ「真偽検証」も、朝晩読ませていただきます。
YGMさんも仰っていましたが、先手の法、本願力廻向の法についての記事、すばらしい思いました。
http://shingikensho.blog12.fc2.com/blog-entry-4.html
Comment by 皆友 @ 2009/12/29 9:55 PM
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