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阿弥陀仏の本願には間違いがありません

安心問答の宮田さんが、御文章2帖目13通・御袖をよく話してくださいますので、拝読しました。
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当流の安心のおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧・才学もいらず、男女・貴賤もいらず、ただわが身は罪ふかきあさましきものなりとおもひとりて、かかる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなく、ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、その御身より八万四千のおほきなる光明を放ちて、その光明のなかにそのひとを摂め入れておきたまふべし。
さればこのこころを『経』(観経)には、まさに「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」とは説かれたりとこころうべし。さてはわが身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら、殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、無始よりこのかたの無明業障のおそろしき病のなほるといふことは、さらにもつてあるべからざるものなり。
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浅井成海監修『蓮如の手紙 お文・ご文章現代語訳』(国会刊行会)の訳を引用します。
 わが浄土真宗の信心の内容を詳しく知りたいと思う人は、ことさら知恵や学問はいりません。また、男性、女性、地位の高い、低いの区別もありません。
 ただ、
わが身は罪の深い浅ましい者であると思い知り、こんな者までもおたすけくださる仏は阿弥陀如来だけである知って、自分のはからいを少しもまじえずに、ひとすじにこの阿弥陀仏のお袖にぴったりとおすがりする思いをなし、阿弥陀如来の仰せにおまかせすればよいのです。そうすれば、阿弥陀如来は深くお喜びになって、そのお体から八万四千の大いなる光明を放たれ、光明のなかにその人をおさめ入れておいてくださいます。
 そういうわけで、このことをまさしく『観無量寿経』には、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と説かれているのだと心得てください。
 この阿弥陀さまの光明のご縁に遇わせていただかなければ、永遠の過去からの無知や、さとりの妨げとなる悪業という恐ろしい病いが治ることは、ありうるはずもありません。

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「かかる機までも助けたまえる仏は、阿弥陀如来ばかりなり」と蓮如上人が言われている通り、
この世に、私を浄土往生させて下される仏は、阿弥陀如来の他にはないということなのですね。
「どうか、弥陀の本願を聞いて、ただ今救われて下さい。」と仰っているのですね。

私たち一人一人に阿弥陀仏はよりそって、なんとか助けようと働きかけておられるのですね。
横で見ているから自分でなんとかしなさいということではなく、お前に代わってかならず浄土へ連れて行くぞとのよびかけが、南無阿弥陀仏であり、一人一人に阿弥陀仏が喜んで
用意をしておられるのですね。
皆友 * - * 23:57 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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