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阿弥陀仏の本願は、救われていることを信じさせるという本願ではなく、ただ今救うという本願です。
阿弥陀仏は現に働いておられます。
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ただ今浄土往生定まる身に救っていただけるのは、阿弥陀仏の本願以外にありません。
信じられるかどうかというより、他にないという説明になります。
私が間違いないというから間違いないのではなく、阿弥陀仏の本願には間違いがありません。どうか、弥陀の本願を聞いて、ただ今救われて下さい。私に確信をあたえるのが阿弥陀仏ではなく、南無阿弥陀仏を与えて下さるのが阿弥陀仏です。
阿弥陀仏とはどんなお方かをよく知ることは大事ですが、知るという内容はもっと勉強しなければ知ることが出来ないというような複雑なことではありません。
私を助けるために願を建てられた阿弥陀仏がおられ、私を助けようと現在働いておられるということです。
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本願を聞きなさいとは、別の言葉で言えば疑いをすてよ、計らいをすてよということです。雪は空から降るもので、どこかの雪山の頂上にじっとしている ものではありません。その雪のように、音もなく私に降りかかってきて下されるのが願力です。自分の手元でなんとか聞こう、耳を澄ますのは自分の心の声を聞 いているのです。
本願は実際に働いておられます、家の中をどれだけ探しても雪が降っているのがわかりませんが、外をみれば明らかなことです。
私の心の中から出てくる信心でも、本願でもありません。阿弥陀仏の方からよびかけられる本願の呼び声を聞いて下さい。
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他力の信心とは、空の向こうのその先の、遙か遠い世界のことではありません。想像も及ばないと言われると、そのように思うかも知れませんが、阿弥陀仏の方から回向してくだされるのです。先週は、私の母も阿弥陀仏の本願について、安心問答の宮田さんほか皆様から直接聞くご縁がありましたのでありがたいことでした。
多くの方の励ましにより、南無阿弥陀仏の話を聞こうという気持ちを起こさせていただいておりますこと、この場を借りましてお礼申しあげます。
皆様が私のことを思って一生懸命、話してくださると阿弥陀さまの大悲心を感じ、思わず涙することもあります。
阿弥陀仏の本願といいましても、人から人、心から心へ伝わるのだと思います。
「なんとか阿弥陀仏の本願に救われていただきたい、ともに弥陀の浄土に参らせていただきたい」
このような心ですべての人に接したいと思うのです。
阿弥陀仏の大悲心は、すべてのひとを等しくへだてなく救い給う広大なものとお聞きします。
親鸞聖人や蓮如上人がいかにすばらしいお方でも、既にお亡くなりになっておられますので、現在の私たちに直接話してくださることはできません。
ならば、阿弥陀仏のご本願を知らされた私は、自分のできる精一杯、「目の前にいる人」に伝えていこうと思っております。
阿弥陀仏の大悲心を思い起こし、自分だけの幸せを求めている愚かさを反省したいと思います。
当ブログのリンク先は、すばらしいものばかりだと思います。
毎日ありがたく弥陀の本願まことであることを聞かせてもらっております。
また、最近の本願寺の「勧学」(かんがく)である人(あった人)には、なかなかの方がいらっしゃったことを昨年知りました。梯實圓(かけはし じつえん)さん、加茂 仰順(かも ごうじゅん)さん、深川 倫雄(ふかがわ りんゆう)さんなどです。
著作、法話CD、インターネットで紹介されている文章などを通して弥陀の本願を聞かせてもらっております。
あいがたき弥陀の誓願、聞きがたき阿弥陀さまの本願ではありますが、今、上記の方々の著作等にかぎらず、法を知る・学ぶに充分すぎるぐらいのものがあふれています。
本当にめぐまれている状況だと思います。
あくまで私の目的は、もの知りになることではなく、一日も早く阿弥陀さまに救われることです。
ただ今、阿弥陀仏の本願によって生死流転から救われて弥陀の浄土へ往生が定まることが目的です。
その一方で、ありがたい尊き弥陀の誓願を聞かせてもらっている身の幸をひとりじめするのではなく、家族や縁のあった方と喜びを共有したいと思っています。
ネットが苦手な方も多いと思います。
身近な人に「ただ今救いたまう阿弥陀如来のご本願」を伝えていきたいと思います。
よくお勧めしているのは、「安心問答」を繰り返し読むことです。
パソコンがなくて読めない人には、読み聞かせてあげるのもいいと思います。(もちろん、自分のためにもなるのですが。)
蓮如上人の『御文章』が、当時の人にとってすばらしいものであったように、平成の今を生きている私たちには、「安心問答」がそれぐらいの役割を果たしていると思います。
「安心問答」を書かれている宮田さんから直接聴かれれば、なおいいと思います。
「人生は苦なり」と言われますが、確かにもし、もう一回同じことをやりなおさなければならないとなるとたいへんだと思います。
苦しみ悩みの凡夫である私の痛みを共にする心をお持ちの大慈大悲の阿弥陀仏が現実として働いておられますから、ただ今救われます。